子供の4割は「いじめ加害者」!
あなたもやったかも知れないいじめ

いじめの加害者になったことはありますか?
私はあります。当時は実感がありませんでしたが、今ならあれはいじめだったと分かります。

小学校の頃、みんなからよくからかわれる男の子がいました。特に劣ったところがあるわけでもないのにいつも笑いものにされる、なんとなくそういう立場の子でした。

私は皆と一緒に遊んでいるつもりでしたが、本人は本当にイヤだったんだと分かる出来事がありました。きっとどこにでもあるいじめの風景です。

東須磨小で「教員いじめ事件」が起こった時、みんなが憤りました。でも、考えてみてください。

あなたは、今まで一度もいじめ加害者になったことはないと断言できますか?

あなたが「あれはいじめではない」「ただのいじりだった」「みんながやっていたことだった」と思っていることは、実はいじめだったのかも知れません。

昔クラスで流行っていた遊び

ある時期、クラスのからかわれ者である男の子に対し、無意味に背中をタッチして逃げる、といった遊びが流行りました。「なんだよー」と言いながらもその子は笑っていたので、はた目には仲良く遊んでいるように見えたでしょう。

ある日ひとりで靴箱にいたその子に、私はいつも通り無意味タッチをして逃げようとしました。しかし彼はいつもと違い本気で怒って私を追いかけ、つかまえて首を絞めました。それを見た友達が先生に言って、男の子が叱られて終わりました。

その時は、私は自分が酷い目に遭ったと思っていましたが、後から考えると先にいじめに加担していたのは私です。私にいじめという意識はまったくありませんでした。

「軽い気持ちで」「みんなやってるし」「楽しかったから」。首絞め事件までは男の子がからかいに怒ることもありませんでした。よくある、やる側とやられる側のギャップです。

彼が本気で怒らなければ、私がそれに気付くことはなかったでしょう。でも、世の中ではきっとそのまま泣き寝入りするケースが多いのだろうと思います。その場合、いじめ加害者は自分のしたことに気付かないまま、自分はいじめをしたことがないという認識の人になるでしょう。

いじめの加害者と被害者の意識のギャップ

やられた側は覚えているのに、やった側は覚えていないというのは、データでも表れています。文部科学省が小中学生におこなったいじめ調査によると、いじめ加害経験率は被害経験率よりも低いという結果が出ています。



中学生いじめ被害経験者の割合(2004年〜2015年)




中学生いじめ加害経験者の割合(2004年〜2015年)



グラフデータ参考・国立教育政策研究所「いじめ追跡調査

いじめをしたという子より、されたという子の方が多いんだね。

この結果は加害者が複数のいじめをおこなっているととらえることもできますが、加害者なのに本人に自覚がないため加害経験がないと答えたと考えるのが自然のような気がします。

後で詳しくのべますが、いじめにはさまざまな種類があって、加害・被害経験率が高いのは「仲間外れ・無視・陰口」といった暴力を伴わないいじめです。その他のいじめを除いても、回答者の5割に被害経験、4割に加害経験があることになります。いじめはいかに身近にあるかが分かります。

東須磨小の教員いじめ

いじめられた方は深刻なダメージを受けているのに、いじめた方はまったく自覚がないのは、東須磨小学校での教員いじめでも見られましたね。

主犯格の女性教員の無自覚さ

神戸市の東須磨小学校で起こった4人の教員による後輩教員のいじめでは、主犯格の女性教諭の謝罪文が「まったく反省していない」と話題になりました。

被害教員に対しては、ただ申し訳ないというしかありません。

被害教員のご家族に画像を見せられ、入院までしている事実と、苦しんでいる事実を知りました。

本当にそれまでは、被害教員には自分の思いがあって接していたつもりです。

自分の行動が間違っていることに気付かず、彼が苦しんでいる姿を見ることは、かわいがってきただけに本当につらいです。

どうなっているのかと、ずっと思っています。

まず文章力が気になりますがそれはおいといて、いじめ加害者にありがちな無自覚ぶりが顕著に表れていて非常に参考になりますね。「よかれと思ってやってきたのにどうして私がこんな仕打ちに」ってにおいがプンプンします。

かわいがってきた」って表現がおそろしすぎる・・・!

「本当につらい」ってそれは被害者が言いたいセリフ!

自己弁護のためにこの謝罪文を書いたというよりは、この人は本当にいじめの意識がなかったんだと思います。「いじってあげている」とても思っていたのでしょうか。

相手がつらい思いをしていたと聞かされて、本当にびっくりしている感じですね。その神経にもびっくりですが。一方、一緒にいじめに加担していた3教師のほうがいじめの意識があったことが興味深いです。

ささいなことでも相手が苦痛なら「いじめ」

ひどい暴力をふるったわけでも、持ち物をかくしたり壊したりしたわけでもないのに、「これっていじめ?」って思うことありますよね。「背中をタッチして逃げる」なんて、たわいのないいたずらのようなものです。

でもこれが継続的・集団的になったらどうでしょうか。少なくとも本人が苦痛に感じていたらいじめに該当します。それは文部科学省の定義にも明記してあります。

文部科学省が定める「いじめの定義」

文科省はいじめの定義を、

「子どもに対して、当該子どもが在籍する学校に在籍している等当該子どもと一定の人的関係にある他の子どもが行う心理的又は物理的な影響を与える行為であって、当該行為の対象となった子どもが心身の苦痛を感じているもの」

としています。「行為」にはインターネットを通じて行われるものも含みます。

<具体的ないじめの態様の例>

  • 冷やかしやからかい、悪口や脅し文句、嫌なことを言う
  • 仲間はずれ、集団による無視をする
  • 軽くぶつかったり、遊ぶふりをして叩いたり、蹴ったりする
  • ひどくぶつかったり、叩いたり、蹴ったりする
  • 金品をたかられる
  • 金品を隠したり、盗んだり、壊したり、捨てたりする
  • 嫌なことや恥ずかしいこと、危険なことをしたり、させたりする
  • パソコンや携帯電話等で、誹謗中傷等の嫌なことをされる など

先の例も、からかいや嫌がらせを集団で継続的におこなっていたので、れっきとしたいじめであることが分かります。でも、ちょっとした冷やかしや小突いたりすることは、仲の良い友達同士でもありますよね。だから、文科省は「行為そのものではなく被害者の苦痛に注目する」ことを強調しています。

単に何をしたかだけじゃなく、それによって被害者がどう感じたかがいじめかどうかの分かれ目なんだね。

それってセクハラとかパワハラとかと通じるものがあるわね。

暴力を伴ういじめ、伴わないいじめの違い

殴る蹴るなどの暴力を伴ういじめと無視や悪口といったいじめはひとくくりにされていますが、ずいぶん性質が異なるようです。これを分けて考えないと、対処したり予防したりすることは難しいと思います。

暴力を伴ういじめ

ぶつかる、叩く、蹴る

お金をたかる、万引きをさせる

  • 見た目に分かりやすく、表面化しやすい
  • 強要・恐喝・暴行など抵触する刑法がある
  • 加害者は一部の限られた者が多い
  • 男子に多く、女子に少ない

暴力を伴わないいじめ

陰口、からかい、冷やかし、無視

  • 一見ささいなことに見える
  • 繰り返し・集中的におこなわれると深刻化する
  • 誰でも被害者にも加害者にもなり得る
  • 男女ともに経験率が高いが、やや女子に多い

暴力を伴ういじめは目に見える行為なので、比較的発見しやすく大人の介入が入りやすい傾向があります。大人からの指摘にも関わらずいじめを続ける子供は限られるので、加害者はジャイアンのように「決まったいじめっ子」がいるのが特徴です。

一方、暴力が伴わないいじめは一見仲良くしていそうなど表面化しにくく、いじめかどうかの判断がしにくい性質があります。また、決まった「いじめっ子」「いじめられっ子」がいるわけではなく、被害者だった子が加害者にまわるなど、固定化しません。

暴力が伴わないいじめは行為自体はささいなことなので、誰でも標的になり誰でも加害者になり得ますが、それだけに集団化・常態化しやすく、暴力よりも深刻な結果をもたらすことがある、とされています。

いじめは増えているのか?

テレビや新聞などのニュースを見ていると、いじめはどんどん増加・深刻化しているような印象を受けます。しかし実際にはいじめは小さな増減はあるものの基本的に一定して起きており、最近になって急に増えたという事実はありません。

いじめの中で最も多いのが仲間外れや無視などの暴力を伴わないものですが、2004年から2015年までの間、2012年「いじめ防止対策推進法」制定などさまざまな取り組みがなされたにも関わらず、増減は±8~10%の間におさまっています。


グラフデータ参考・国立教育政策研究所「いじめ追跡調査

暴力を伴ういじめについても同様です。ここ12年に渡って、被害経験率に大きな変化はありません。

マスコミは極端な事例を取り上げて全体を語りがちなので誤解が多いのですが、いじめについては“流行”や “ピーク”といった言葉がよく使われますが、それは実態とは大きく異なる間違った表現だといえるでしょう。

いじめをなくす方法はないのか?

いじめについては、「いじめ防止対策推進法」や「学校いじめ防止基本方針」ができたりしていろいろ対策されているはずなのに、なくなる兆しがありませんね。人間はいじめをしないと生きていけない生き物なのでしょうか。


いじめの話になるといつも思い出すものがあります。2006年に朝日新聞に掲載された東京海洋大客員助教授のさかなクンの「いじめられている君へ~広い海へ出てみよう」という文章です。

さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。

けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。

広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。

被害者(魚)を保護しても別のターゲットを作ったり、加害者を分離してもまた別の加害者が出てくるあたり、人間のいじめによく似ていますよね。注目すべきは、「広い海ならおこらないのに、小さな世界に閉じ込めるといじめが起こる」という箇所です。

とても示唆に富んでいますね。たしかに、狭い空間にたくさんの人をぎゅうぎゅうに詰め込んだら、なんらかの小競り合いが起きてもおかしくありません。物理的な空間だけじゃなくて、精神的な縛りもそうですよね。人間関係はこうでなくちゃいけない、というのが多すぎる気がします。

私たちはどうやったらいじめのない海に出ることができるのでしょうか?

みんなが学校に行かず独学する?会社を辞めてフリーになる?

人の少ない田舎に移住する?

集団から離れればいじめはなくなりますが、みんなが集団生活をしない人間社会なんて実現するんでしょうか。。

とりあえず、ささいなことだけど集団で継続してやられるとツライとおもわれる行為を、自分が誰かにやってしまってはいないか、日々の生活で気を付けたいと思います。

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  1. 昔クラスで流行っていた遊び
  2. いじめの加害者と被害者の意識のギャップ
  3. 東須磨小の教員いじめ
  4. ささいなことでも相手が苦痛なら「いじめ」
  5. 暴力を伴ういじめ、伴わないいじめの違い
  6. いじめは増えているのか?
  7. いじめをなくす方法はないのか?
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